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2012年5月21日 (月)

金環日食

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朝、子どもたちとそろって、金環日食の時を迎えた。

7時すぎは、雨が落ちていた。

テレビをつけると、雲の合間から、宇宙のドラマが始まっているのが確認された。

雨が上がり、薄暗い中にも、日の光を感じ、外に出る。

わぁ・・。

美しい!

ほんの数分。

太陽は、リングになった。

リアルな空を、子どもたちと一緒に眺めていた。

何十年に一度と言われる天体の不思議。

次、同じ巡り合わせの時に、わたしの生命は、この地球上にあるのだろうか?

また、もし、そのときがきたら、わたしは、いったい誰と、そのときをわかちあうのだろうか?

長女は嫁いで今は、家にいない。

次女も、いつかは、愛する日とのものに巣立ちするのだろう。

難病とともに生き、今、大学生である息子も教職を目指し、未来は、母との暮らしの中に閉じこもる可能性は低い。

わたし自身、これから人生を寄り添うパートナーとの出会いの予感も感じている。

次の金環日食。

そのときには、子どもたちにはしっかりしてそれぞれの家庭があり、わたしは確実に老いているだろう。

今は未来、でも、そのときがくれば、それが現実。

わたしたちは、今この時を生きながらにも、想像と言う未来にも同時に生きている。

未来を生きるために今日を生きようとする。

でも、どちらにあるのも、「いま」というその一瞬でしかない。

太陽と地球、そして月。

その三つが重なるのが、本当に瞬間の時であるのと同じように。

気温の変化はない中にも、肌寒さを感じた。

太陽の光の中で、活かされている自分。

今日、こんなときがあったこと。

時を紡ぐのは、自分であり、自分の思考。

であれば、お日様のように温かい思考の持ち主になれたらとも思う。

月のように、冷静な思考であれたらとも思う。

そして、地球のように、命に満ちた思考でありたいとも思う。


2012年5月17日 (木)

人生は短い

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「あなたの人生は、あなたのものであるとしたら・・・。

好きなことをして、嫌なことをやめる。

ないものを探さず、自分らしく生きる。

時々の感情を美しいと感じ、心を開き、夢を語り合える人と出会う。

旅をし、道に迷うことで新しい自分を発見する。

人生とは、人との出会いであり、その出会いの中で、生まれるもの。

人生は短い。

情熱を持って、自分の夢に生きよう」

と、いうようなメッセージをFBの中で見つけた。


昨日、久しぶりにゴルフに行った。

素敵な女性たち。
そして、このゴルフがきっかけで知り合った男性たち。

キュリアス、好きなこと。

緑、風、水音。

ゴルフ場の中にいると、日常から離れた開放感がある。


そして、趣味を同じくした人との共有する時間。

ゴルフ場のこと、それぞれの家庭のこと、仕事のこと、夢・・・。

ゴルフのゲームは、遊びそのもの。

楽しくないはずがない。


人生は短い。

なら、もっともっと、自分の好きなことにこだわって生きていたい。

仕事も遊びも、自分らしく!

楽しいことをともに楽しめる人とともに。


人生は、自分のものなのだから。

※写真は、オーガスタ


2012年5月 6日 (日)

なりたい自分になる

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ちいさいころ、とても不器用で、引っ込み思案の子どもだった。

好き嫌いも多くて、給食も食べられずに一人で泣いていたことも。

忘れ物も多く、居残りさせられて怒られた。

漢字が覚えられなくて、九九も苦手だった。

逆上がりも跳び箱もわたしだけできなくて・・・。

本当に、どうしようもないくらい自分のこと情けなくて。

遠足でも、たった一人でお弁当を食べていた。

多少の救いは、お勉強だけはできて、先生受けはしたのかもしれない。
学校を代表するような時はいつも選ばれた。

絵や歌や習字や読書感想文などたくさん表彰された。

小学校時代を色で表すなら、グレーかなぁ。

たぶんまわりから見られていたわたしと、自分で感じているわたしとの評価が大きくかけ離れていたかもしれない。

自己評価なんて、全然できなかった。

どんなに賞をいただいても、もっと上の賞があったのにそこへは届かなかった、と。
もっと、もっと努力しなくっちゃって。

中学生になって、そんな努力の糸も切れてしまった。

できない自分が、そのまま人にその姿をさらしている。

そうなって初めて、わたしは、自分らしくいるとができるようになった。

友だちが増え、生徒会の委員長を務め、毎日をニコニコ笑顔で過ごせるようになった。

でも、まだ、自分への評価ができるようになった訳ではない。

社会に出てからも、いろんな仕事をした。

広告だったり、出版だったり、NPOの仕事だったり。

たくさんの媒体の取材を受け、いくつもの賞を受賞した。

そして、素晴らしい知人、友人に恵まれ、今に至る。

本当の意味で、自分が変わったなぁ、と思えたのは、ある出会い。

自分の殻を固くして、依存すること、わかちあうことを頑に拒否していただろうわたしに、初めて頼りたい人が現れた。

殻を崩し、人と本当に関わることのレッスンが始まった。

それは、楽しいことでもあり苦しいことでもあった。

おかげさまで、いまのわたしは、たぶん、自分らしい自分であると言えると思う。

そして、自分が好きだ。

子どもたちが好きだ。

仕事仲間が好きだ。

友達が好きだ。

たくさんの愛おしい人間関係に囲まれている。

わたしは、ずっと願い続けていたんだと思う。

なりたい自分に。

自分自身になれる日が来ることを。

大好きな細谷先生が、今を生きなさいっておっしゃって下さった。

今を生きることの豊かさをプレゼントして下さった。

昨日でもない、明日でもない、今日、今、このときを。

なりたい自分になれる。

これからも、わたしは、わたしでいよう。

今を豊かに。

それこそが、生きるってことだと思うから。


2012年4月 4日 (水)

おいしい料理を作ろう!

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料理が好きなキュリアス。

昨日はもつ鍋を作りました。

モツは、丸腸と呼ばれている腸の中でも一頭に20センチくらいしかない脂の乗ったぷりぷりした部位。
これを手に入れるのが大変。

わたしは、あるルートから、1キロ単位で購入しています。

まず、モツを2センチくらいに切り分けて、アクを抜きます。
このひと手間をしっかりしておくと、モツのくどさがなくなります。

キャベツは大きくざく切り、ごぼうのささがき、人参、そしてニラ。

黄緑、茶色、オレンジ、そして、濃い緑。

いろいろな野菜の色が美しいです。

真っ黒い土鍋に、たっぷりのお酒を。

わが家では水を使わず、お酒のみ使用。
甘みには、みりんを足します。

そして、味噌味なのですが、京都の白みそを使っています。
これは、わたしが最初に博多でいただいたもつ鍋が京都の西京味噌を使っていたから。

こくのあるスープが出来上がります。

モツのお出汁もしっかり付いたら、野菜とともにぐらぐら。

温まると、白い湯気とともに。ぐらぐらと煮立っていく音も、おいしそう。

いい香がしてくると、みんなニコニコ。

黒いお鍋のふたを取ると真っ白いスープの中で、ぐらぐら揺れている色とりどりのお野菜とモツ。
真っ赤な唐辛子の刻んだのを振りかけて・・・。

モツのコク、スープの甘さ、そして、一味のピリ辛。
幾重にも重なった味のハーモニー。

熱々の湯気に包まれて、口の中につばきがたまってきそう!

なお、丸腸は、これだけの油が詰まっているので、カロリーが心配になりますが、なんと、カルビやロースはもちろん、赤身肉よりもっとカロリーは低いんです。

そして、アクだしで煮こぼすことによって、余計な油分も流れてしまいます。

そして、女性に嬉しいのは、コラーゲン。
次の日の朝は、お肌がぷるぷる効果も。

また、たっぷり取れる野菜は、ビタミンはもちろん、食物繊維もたっぷり。
身体をリフレッシュしてくれるお鍋ですよね。

って、食べたくなった?

いろいろな表象システムに訴えかけたプレゼン。

どうでした?

2012年3月25日 (日)

チューリップの芽が・・・!

今日は、久しぶりにゆったりとした時間を過ごせた。

お庭に春の花を入れようとスコップを持って、土いじりしていたら、小さなチューリップの芽があちこちに。

そういえば、12月頃に、チューリップの球根、たくさん土の中に植えたんだった。

もう、すっかり忘れてしまっていた。

今日入れたのは、ガザリア。

これは、宿根草で、毎年花を咲かせる。

花の時期も長い。

本当は、白が好きなんだけど、だだっ広い生け垣のした。

目を引くオレンジにした。

今年も、野生のひなげしがたくさん茂っている。

可憐な花なんだけど、根が張って、他のお花が入れられなくなる。

ちょっと抜いたり、そのままにしたり・・・。

こうして、土や草や花とふれあっていると、心が落ち着いてくる。

人と人との関わりには、苦戦中のわたしだけど、一人で、こんな時間を過ごしていると、自分らしくいられる気がする。

もうすぐ、そこかしこが花で埋まる春が来る。

時は、やさしい。

わたしたちの日々の上にも温かな日だまりがありますように!

2012年3月19日 (月)

光を感じて!

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今朝、久しぶりにマリーナまで、ジョグ!

NLPのとき学んだように、思考を流しながら、音や皮膚感覚、光を感じながら・・・。

外を歩く時も、人は常に何らかの思考を繰り返している。

いま、ここにいるっていうこの瞬間に自分をおくことって、簡単そうで難しい。

NLPスクールの時のように、いまをそのまま感じながらスピードのあるウォーク!

鳥の声、風の音、肌にそよぐ風の温度、地面を感じる足の感覚。

太陽の光。

その温かさ。

わたしは、いまを生きている。

毎日が、ストレスでいっぱいになりそうだった。

とても苦しかった。

いまわたしは、ここにいる。

過去や未来に押しつぶされそうになっていたけれど、いまは、こんなにも清々しくて豊かで美しい。

そんないまをわたしは、大切にしていきたい。

2012年3月 3日 (土)

Little Witch

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英語のレッスンは、今のところ時々お休みしながらも続けています。

わたしのティチャーのジェイソンは、本が好きで、英語版の日本文学をたくさん読んでいるもよう。

村上春樹や大江健三郎、三島や谷崎といろいろな作家の話をします。

わたしも、英語で本が読めたらなぁ、って思うけど、アレルギーがひどく、全く読めません。

そこで、子ども向けのペーパーブックをアマゾンで買い込んで読み始めました。

その中でとってもおもしろかった本が「Little Witch」シリーズ。

Little Witchが、学校に行くお話なんですが、おもしろいです。

Witchの家族では、いたずらをしたり散らかしたりすれば褒められるけど、いい子だったり、お掃除したりすると叱られます。

Little Witchは、学校から本を借りてきて読んでもらおうとするんだけど、お母さんも、おばさんたちもいとこも、誰も読み聞かせてくれません。

Little Witchは、しかたないので、自分自身に読み聞かせることにしたんだけど・・・。

睡眠不足になって、本のありかが見つかり、家族にとっても叱られてしまいます。

「Snow White」だったんだけど、こんないいこの読む本を読んでいるなんて!
って。

Little Witchは、言い返します。

毒リンゴを作ったり、森に連れて行って殺そうってするんだよ!
って。

そしたら、Witchたちは大喜び。

読書することにOKがでます。

でも、ママから一言。

「エンディングはよくないわね。
ずっとずっと幸せに暮らしました、っていうのは、嘘よ。
そのときしばらくは、幸せを感じていました、っていうことでしょ」

って。

「ママ、わたし、お話読むの上手?」
っていう問いかけにも、

「ええ、いろんなことが上手だわ。
・・・、でも、
それは、悪い子になるためだって、わたしは願っているわよ」

そして、大きなハグをしてLittle Witchは幸せな眠りにつきます。

これって、リフレームに使えそう。

おちびの魔女は、ついうっかり、お片付けしたしまったり、やさしくしたり、いい子でいたりしてしまいます。

そして、ママに叱られるんだけど・・・。

することがどんなことであっても、そのことに意味をつけずに、肯定的に取るって、ワークの時も難しかった。

でも、Witchの世界では、邪悪なこと、汚いこと、すべてOK!
毎日、そのためのトレーニングすらしていきます。

わたしも、お片づけができなくて結構自己評価が低いけど、魔女の世界に暮らしていたら、結構自慢できたかも?!

母親としても、落ちこぼれ感が強いんだけど、魔女の家族ということで、あきらめてもらおうかなぁ。

絵本を楽しんでいる間に、TIMEも、読めるようにならないかなぁ?

たぶんそこには、いくつもの階層が待っているんだろうなぁ。

いつか行き着くのかなぁ。

???


2012年1月27日 (金)

利己的な遺伝子

「利己的な遺伝子」リチャード・ドーキンス著


わたしが長女を出産した前後の時期に初めて手にした書籍。

わたしの人生に影響を及ぼした本をあげるとしたら、必ずこの一冊は外せない。


プラクの授業の際、ポジションチェンジでわたしの前に座った人は、なんとこの本の著者リチャード・ドーキンス。

そのとき、わたしは、彼の風貌を知らず想像上の博士の姿をイメージした。


いま、この記事を書くにあたってウィキベディアを見たところ写真が掲載されていた。
わたしのイメージしたドクターとあまりにそっくりなので、驚きもし嬉しかった。


わたしが彼に尋ねたこと、それは、ここにはちょっと書けないんだけど。
・・・、NLPは、コンテンツフリーということでお許しください。


彼とわたしの会話は、わたしにとって、とっても意義のあるものでした。

自分一人でとらわれていた自分を縛っている考え方を彼は、いくつかの質問によって、ほぐしてくれた。


「遺伝子の乗り物としての人間」としては、あり得ない感情も、次につながっていく家族への記憶という観点で見れば、正しい選択ではないかという気付き。


わたしの気付きをおもしろがりながら、博士は、そんなふうに自分の書いた本によって、人の生き方が変わるということを目の当たりにし、それこそが「ミーム」なんだろうと。

わたしも、関わっていく人たちに対して、影響力を持つとしたら、それが自分をつなげていく、広げて
いくひとつの命の働きなんだと実感した。


このポジションチェンジは、わだかまりへの答えをくれただけではなく、自分が生きている意義そのものに対してのあるひとつの答えも与えてくれた。


自分ではないもう一人の人物の椅子に、座ってその人になりきってみる。
これは、ある意味プロファイル。
その人をいかに深く知っているかによって、結果が違ってくるだろうと思われる。


その知る、ということは、決して健在意識としての知識ではなく、私たちの潜在意識が受け止めたものが元になっていくのだろうと思う。


自分の顕在意識が感じられない自分の予想を遥かに超えた「答え」が、生まれる不思議は、体験したものしかわからない。


それにしても、潜在意識というものは、本当にいろんなことを知っているんだなぁって思う。


そして、何故だか、顕在意識が、たくさんの可能性のブレーキになってしまうのは何故なんだろう?


これからも、もっと勉強して、いろんなワークをしてみたいと思っています。
2月は、お勉強月間。

みなさまとも「こころにつばさを」で、お目にかかれますように!

2012年1月20日 (金)

人はイメージしたところに向かって歩いていく!

FBに書き込んだ文章


「わたしを離さないで」カズオ・イシグロを読んだ!

ショックを受けた!

たまたま、昨日、英語のレッスンの日で、ジェイソンにその話をしたら、彼は、カズオ・イシグロの本、全部読んでいて、映画化されていることや、関西の出身であることなど教えてくれた。

内容に及んで、私の息子が難病で4才のとき骨髄移植を受けたこと、いまも闘病中であること、ハンデを持ちながら大学に進み教師を目指していることなどを話した。

自分でもびっくりなのは、この会話がすべて英語で、ジェイソンを駅に送る10分足らずの車の中でなされたこと。

こんなふうに、コミュニュケーションを英語で持てるなんて、びっくり。

もちろん、片言だし、ジェイソンに、いい方を直してもらったりしながらの会話だったりするんだけど・・・。


この文章を書いていて、NLPのこと考えた。

わたしは、英語を話せるようになりたいって、ある日突然思った。

昨年の秋。

そして、すぐにインターネットで、個人レッスンをしてくれるチィーチャーを探した。
鎌倉に住む大学の教授。
カナダ人の男性、ジェイソン。

週に一回のレッスンも休みがちだけど・・・。

絵本のようなテキストの半分をすませ、先日のレッスンは、どんな種類の映画や書籍、テレビ番組が好き? というような簡単な会話のレッスン。

お互いに、好きなジャンルの映画やアクターのことを伝えあい、その周辺情報などを交換したり、会話が盛り上がった。

私の住まいの近くにいる俳優たちのことや、実は私はラッパーだということを話したり・・・。

ジェイソンが読書家で、村上春樹の英語で翻訳されている本をほとんど読んでいるって知ったり。

わたしに、もっと語彙があれば、たくさんの本や映画のこと語り合えるのに、って思った。


そして、帰り道、一番最近読んだ本の話をジェイソンにしたところ、上記のような会話が・・・。

数ヶ月前、突然思い立った英語のレッスン。

でも、わたしはイメージしていた。

海外の方と、何気ない日常のことを話しあって、意思の疎通ができること。

何かをわかちあえること。

そんな自分を。


絵本のような教科書すら、まだ卒業できないわたし。

未来のことや過去のこと話そうとすると、どういえばいいのかと惑ってしまったり、語彙がなくて、むずむずしたりすることばかりだけど・・・。

でも、一冊の本のことを話し合い、そこの世界から、自分の人生について伝えている。


「息子とこの人生で出会えたこと、とっても幸せだって思っています。

子どもたちのこと愛しています」

って、ニコニコ話すわたし。

「それは、素晴らしいことだよね」

って、ジェイソンもニコニコ。


こんな時間を持てたのも、自分がどこへ行こうとしているか、自分のイメージがあればこそ。

こうなりたい、っていう自分をイメージすれば、人は勝手にそこに歩いていく。


タイムラインが見せる未来の記憶。

未来が今日になったひとつのエピソート。


すごく嬉しかったです。

2011年12月30日 (金)

目分量

ごぶさたしていました。

こんなことあんなことでいろいろ忙しくって!

そんな中で、いろいろ最近思ったこと。


料理をしていて不思議なことは、メモリで計らなくても、だいたいの量がわかるってこと。

例えばお米を炊く時の水の量。

2合だとして、だいたい水をいれる。

確認のためメモリを見るときっちり2合のところまで水が入っている。

パンの小麦の料も適当に入れて計ると500gちょうどをさしている。

なれた作業は、手が覚えてしまうんだと思う。


時間も、そうだよね。

朝、何時頃起きるって決めたら、目覚ましがいまちょうど鳴るっていう時に起きたりするでしょ?


同じように、欲しいものが、すっと差し出されるような時ってあるよね。

まさしくいま、それが欲しかったのよっていう感じて。


全く異なることかもしれないけど、最近感じるのは、車の運転が、うまくなったというのでもなく、自然に意識しなくても運転ができると言うか、オートドライブ状態。

都内までの長い道のり、毎日のように通っているうちに、潜在意識が、道のりをすっかり覚えているようだ。

高速なら、○○キロ、一般道なら○○キロって、だいたい無意識で走っているよね。


同時に、ネガティブなことも、自動的に起こることもある。

ひとつの言葉に、たくさんの感情がリンクしていて、一瞬のうちに、すごいマイナスの感情が襲いかかってくる。

理性では、制御できない感情の嵐。


今年一年、いろんなことがあった。

いろんなことを引き寄せたのは、わたし自身なんだろうなぁ。

見たいものを見つけ、したいことをし、得たいものを得たと思う。


手放したいものを手放すのは難しい。

でも、手放すものとして、自分の心に落とし込んだとしたら・・・。


いつか・・・。


今年ももうおしまい。

昨日の続きに今日が来て、明日に繋がるというだけのことと思えば、新しい年という概念もあやふやになるけれど、それが、わたしたちにとって必要なら、新しい一年の扉を開けましょう。


きっとそこには、ほら、光り輝く素敵な時が、あなたを待ち望んでいますよ。

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