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2008年6月 3日 (火)

我思うに・・・

デカルトの言葉。

「我思うに我あり」

この今ある世界の実存を不確かに思ったとき。
そう思う自分があり、そう考える思考がある。

ならば、少なくとも、そう思っている自分自身は、存在するものであろう、と。

この世は、不思議に満ちている。
実存するこの世界を疑う事すらある。
そんな事、一生のうちで、一度も考えない人もいる。

キュリアス、感覚人間なんだけど、時折、思考する。

世の中に起こる事の原因を自分なりに納得したくなったり、未来を夢想したり。

そんな時に、実存するであろう世界に対して、あやふやな感覚をもつことがある。
わたしの世界と、夫の世界は、空間的には重なっていても、その見え方、感じ方、そこから得る事による感情など、たぶんずれていると思われる。

仕事の世界でも、たぶん、わたしの認識している仕事世界と、Oさんの認識している仕事世界は、重なってもいるけど、乖離してもいるんだろうなぁ。

人との関係性の中で、それぞれにあるファンタジー、記憶、感情。

同じ世界を見れる人は少ない。

自分一人だとしても、自分の見ている物、感じているもの、記憶・・・。
疑い出すと、何となく、不安定な感じになる。

そんな中で、我思うに我あり。

自分の存在そのものは、そこに思考があれば、存在しているものなのだと。

自分の作る世界の中に、自分はいる。
その現実を認識した上で、外の世界を見る。

他者にも、他者の信ずる世界があり、そこに存在している。

他者の目から、自分の存在を確認しようとしたり、自分の世界感だけで、他者の存在を認めようとすると、あやふやになるのかも。

子どもの頃。

本当にこの世があるかどうか、疑問に思っていた時期があった。
この世は、継続するものなのではなく、ただの「わたし」という思考のための実験の場ではないかって。

わたしの記憶以前の過去もなく、死後の(もし、死というものがあるとしたら)世界も、存在しないのではないかと。

外国といわれるものも、宇宙も、歴史も、いろいろなものは、「わたし」という思考がどのような反応を示すかを見るためのシャーレーの中の環境として作られているだけではないかと。

だから、自由だ、と思った。
中学生のとき。

でも、いつだったか、夏目漱石の「十三夜」というエッセイを読んで、彼のある記述でわたしは変わった。

夏目漱石が、自分の死後、世界が続く事がしメージできないいうような一文だった、と思う。

すごくリアリティがあった。
夏目漱石という人が生きていた事に。

キュリアス、ある面、生きていくのに不自由することがある。
みんなが当たり前だと思う事が、そのまま受け入れられなくて。

自分の思考の中に、落とし込まれるまで、理解できない事も多い。

こんな年になって、初めて知る事も結構ある。

「我ある」事の難しさなんだろうなぁ。

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