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2010年1月 4日 (月)

新しい年に!

喪中だったお正月。
こともたちと、淡々と、日常生活を。

普段と違っていたのは、ほとんど見ないテレビを結構見た!

箱根駅伝を見たり、「龍馬伝」も・・・。

その予告のための特別番組もおもしろかった。
龍馬の中にあった、「メタ認知」「決意とユーモア」。

「メタ認知」というのは、自分を外から見たいる自分がいるかどうか?

キュリアスは、この「メタ認知」の感覚は、いつもある。

自分で、自分を作っていこうとするするとき、今の自分を見ている自分がいる。

初めて意識したのは、中学一年生のとき。
昔住んでいた家の近くの川の側の道を歩いていたとき。

何から、そういう発想になったのか、記憶に無いけど、こんなことを考えていた。

「わたしというものは、もしかしたら、シャーレーの中で生まれた未知の生物かもしれない。
それを発見したモノが、わたしを顕微鏡で見ているのかもしれない。

わたしが思っている世界というものは、未知の生物のための環境でしかないのかもしれない。

わたし、という生物の反応を見るための環境だとしたら、わたしの知らない未知なる外国というようなものも、概念でしかなく、実体はないかもしれない。

わたし、の生まれる前という歴史も無く、わたしの死後というものも、存在しないただの概念かもしれない」

って。

そう思ったら、なんだか、自由になった。
わたしは、わたしを試してみようって。

既存の概念に、縛られることはしないって。

自分らしく生きることに、真剣だった。
そうして、今の自分がいる。

もちろん、人生の途中、夏目漱石の一文によって、あっけなく、わたしの誕生より前に日々があり、死後の世界も続いていくということをリアルに知った。

他者も、わたしと同じように、その人それぞれの人生の主人公であることにも。

「決意とユーモア」は、どうだろう?

「夢」というものが「決意」を促すんだろうなぁ。

この「夢」が難しい。
ここ数年、わたしの悩みそのものが「夢」にまつわること。

普通の人なら、現実に押しつぶされているような時も、わたしは、そのことには気付きもせずに、紡ぎきれない夢と格闘する日々だった。

「メタ認知」が自分に無ければ、欲望をそのまま夢という言葉にかえて、突き進んでいたかもしれない。

ひとつの課題の行く先が、いくつもに別れて複眼で見えてくる。
その未来像、それぞれが、リアルに体感できる。

中学生のわたしなら、自分の心地よさだけで、未来を選択できたかもしれない。
でも、いまのわたしは、そこに関わる人たち、それぞれの人生をリアルに感じることもできる。

人のために生きよう、とは思わない。
でも、自分の欲望だけで生きよう、とも思えない。

満たされたい自分。
そこに関わる人たち。

叶えたい夢、があるんだと思う。
そして、これだけ強く願っているからには、いつか叶うと思う。

今年は、夢叶う年になるんだろうか?

出会うべき人に出会い、私の夢が現実になる日が来るのだろうか?

願いたい。
そして、叶えたい。

そのことをわくわくして待ちたい。
子どもの心のままで。

みなさまの夢も、叶う一年でありますように。

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